黄牛


昨日美の巨人たちという番組で、イ・ジュンソプという韓国の画家の
生涯と作品について初めて知った。
中でも「黄牛」と言う晩年の作品は秀逸である。
私は朝鮮半島の歴史と民族性についてほとんど知らないに
等しいが、この絵を見たとき、これが「恨(ハン)」と言うものだろうかと
思った。
穏やかで愛情深く、韓国と日本の間で彼を愛する家族と友人達に
助けられ守られた、きっと人格的にも素晴らしい人だったはずだ。
それにも関わらず、歴史の荒波の中で、孤独のうちに病に臥して
享年40歳にて亡くなってしまったのだ。
家族は日本で、イ・ジュンソプは韓国で。
美の巨人たち』公式HP
のコンテンツ「ラインナップ」参照

今日は別の番組で、滝田栄が仏像彫刻をやっているのをみた。
偉大な俳優が、忙しい時間の合間を縫って片手間に趣味として
やっているような、そんなしょもないものではない、とんでもなく
スケールのでっかい、本当に魂のこもった仏像を作っている。
なるほど、彼の瞳はとても澄んでいてきれいなような気がする。
いやこんな若造が偉そうに言うような事ではないか。
不動明王を彫っていた。
出来上がった不動明王は、とても力強くバランスが取れていて
すばらしい…と私は思った。
いやそりゃまぁ歴史的に見ればよく分からないが。
不動明王の顔がアップになった。
すごく悲しい顔をしていた。
病魔悪鬼を退散させるようなものではなく
密教的な神秘性も感じさせないが、
迸るような悲しみが圧倒する。
滝田栄が悲しみを表現しようとしたとは思えないのだが。
私が孤独の淵にあるのだろうか。と言うか私の感情のベクトルが
そういう風に向かった、と言うべきか。