毎日寒い…寒すぎるよママン…T^T

少し前のことだが、新聞である記事を読んだ。
横浜市内のとあるマンションの一室で、大麻を栽培していた
男性(レンタルビデオショップ経営)が逮捕された、と言う記事だった。
文末に「大麻を栽培していた男性は、それぞれに(一株一株に)
エリザベスやパー子という名前を付けて大切に育てていた」という
一文が書いてあった。いや手元にその新聞がないので明確にこう、と
言う訳ではないのだが、たぶんこんな内容だった。
パー子というのははっきり覚えている。
普通の新聞記事なら逮捕された、で終っていると思う。
でもその新聞記者は、おそらくブンヤ的にではなく個人的に
どうしてもこの“情報”を切り捨てられなかったのだと思う。

私が勝手にそう思っているのだが。


それにしても何故エリザベスにパー子。


昨日は東京ドームで生新庄を見てきた。
カッコよかった。
でも4打席連続大型フライ。
メリケンチックな笑顔を見られなくて残念だった。

4人の子持ちながら某中東国に海外青年協力隊として
2年半も派遣されていた、相方の同期の友人が帰国した。
無事でよかった…。

奥さんが一番安堵してるかな。


できた奥さんだ。
私なら絶対無理。泣いたり騒いだりして拒否するだろう。
日頃(と言うか時折)オンライン上でボソボソ呟いていたって、
クソの役にも立たない。
オンライン上で匿名でイラク人質の人たちをボロカスのクソミソに
けなしている人たちとあんまり変わらないかも。
無責任でお気楽で平和ボケという点で。

すごいほっとして嬉しい反面、そこで生活をしつづけざるを
得ない人たちがいる、と言う厳然たる事実がある。
破壊し攻撃され尊厳を打ち砕かれ…
イラク戦争が泥沼化しているというのは藪の失策なのだろうか?
実はそれを狙っていたのだろうか?(何の為?)
何か深い思惑があるのだろうか?
などといろいろな事を考え疑いたくなる混乱した自分がいる。


先日友人宅にお邪魔した時のこと。

コーヒー一杯目は友達が淹れてくれたのだが、二杯目は
セルフで淹れてねー!と素敵なポットとともに、一人ずつ
淹れられるタイプのドリッピコーヒーを持ってきてくれた。

私は何にも考えずに(何時もの事だが)開封して袋からブツを
取り出し、コーヒーカップに乗せて引っ掛けるところをふちに
かけて、お湯を上から注いだ。

友人が「ちょっとちょっと…そんな淹れ方する人…初めて見たよ!」
と驚愕している。他の人達は「えー違うの?」「ほんとだ変だ」
と真っ二つに別れて笑っている。

何をしたかというとドリップコーヒーの袋の上の部分を
開かずそのままの状態で淹れていたのだ。
紅茶感覚である。
上を開いてその上から熱湯を注がなくてはいけないらしい。
家で利用した事もあったが、いまだかつてそんな淹れ方をしたことが
なかった。
ていうか、説明を読まないのか?って感じ。


その次は出されたお菓子でおいしいのがあったので、
「このモン・シニョールってお菓子おいしいねえ!」と
絶賛した。みんながうんうんと首肯した。
袋をよく見ると全然お菓子の名前が違う。

「あ、違うモン・ピエールだった」


初めてお邪魔して、初めておしゃべりしたメンバーだったのだが
私のボケはここでも確定してしまった。